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演劇、見始めて5年。

ティーダ04壁抜け男12

 

演劇、見始めて5年になりました。

こうやって書いてみるとけっこうな長さですね。自分でも「そんな?!そんな時が経ったか?!」と驚愕するほどです。いや〜。時が経つのは早いもんです。

 

私はとある舞台の公演を必ず観に行きます。それは1月と7月の半年に一回というペースで公演されております。と、いうことでその舞台を観劇しに行くことが私の人生のサイクルに今組み込まれている訳です。

 

しかしその5年、振り返ってみるといろいろありました。

 

その「いろいろ」が地層のように積み重なり、振り返って読み解けるようになってきたのも「5年」という時の長さがあってこそ。振り返ってみると、これがなかなか面白いのです。

 

一番「へえ〜…。」と面白く思ったのが「その間に描いた作品」のことでした。

ちょっとそのことを記録させていただきます。

 

 

そもそも最初のキッカケは2010年、まだ大学生だった時代に先輩にチケットを譲ってもらったことがはじまりでした。

演劇自体は好きだったのですが、なにせチケット代が高い。一回6,000円〜7,500円以上。学生だった自分は万年カツカツだったので「舞台を観に行く」という習慣が皆無でした。

その当時私は作家として自分は本当にやっていけるのか、本当に不安で眠れない毎日を送っている状況。懊悩する毎日から、「気晴らしに一回くらいいいかな。」と軽い気持ちで思ってチケットを譲っていただき観に行ったのです。

 

そこで、私は「舞台」というものに雷に打たれるように痺れてしまいました。

 

「どうせかっこいい人たちがお芝居して適当に舞い踊ってるだけでしょ?」と最初思いっきり斜に構えてみておりました。ところが大違い。

切れ味深いアクション、鋭い殺陣、そして気迫あふれることば、その人物そのものがそこに舞い降りているかのような力。無限に広がる空間。

それはそこに血のにじむような日々の鍛錬と真剣にお話に向き合っている姿が脳裏に浮かぶようで。

私は最初抱いていた固定概念を大きく覆されてしまったのです。

 

何より、その舞台に出演していたのは当時私とそんなに歳の違わない若い役者たちでした。

そんな彼らが舞台の上で光輝いて表現しているところを見て、そしてその裏に秘められた真摯な練習と真剣な思いを目の当たりにして、私はものも見ずに決めつけていた自分を恥ずかしく思いました。

そして単純に、そんな彼らみたいに私も頑張りたい、と思いました。

 

境遇は違えど、役者と作家。ものをつくる上でこの両者は似ているところもたくさんあります。

 

彼らがやれるのならば私もやれる。彼らのように私も頑張ろう。

私は彼らから、未知の旅路を歩む勇気ををらったのです。

 

 

さてそこから、私にはひとつの習慣が出来ました。

それはその日観た舞台の「レポート」を描くことです。(冒頭の2枚の絵はそれです。ただその5年観てる舞台ではありません・汗)

 

私が出会ったその舞台はアドリブが多かった。その日その日で細かいところが毎回違う。しかも面白い!

「ああ舞台ってナマモノなんだ。」と思った私は、その日観たことを忘れたくなくてスケッチブックに印象的なシーンを絵でメモするようになりました。

ときどき、作業の合間を縫ってそこから沸き上がってきたものをファンアートとして真剣にお話にすることもあります。(その作品自体は趣味なので共通の趣味を持つ人の間でしか公開してないのですが…・笑)

 

それが思わぬ効果を生むこともありました。

 

2011年の震災。2012年にはその心労からぼっきり折れてしまった闇の日々。描くことそのものがつらい時もありました。しかし、レポートを描くことはやめませんでした。

それを今見返してみると、なかなか「面白い」のです。その時にしか感じられないものが描いてある、というか。どんな自分の状況が当時「悪い」と思っていても「作品」は「そうではない」というか。

その時の「ベスト」を尽くして描いたものは、どんなに時が経っても面白いし、いいと感じるのです。それは、その当時にはわかりませんでした。

それはレポートだけでなく、他の作品もそうでした。エスムルブも、いさとまえ物語も、その時にしか書けないなにかが滲み出ていて、それがいい。

 

それを知った時、なんとなく分かりました。

ああ人生は苦も楽もあざなえる縄のようにある、でもどんなときもベストを尽くして淡々と描いていればいい。

 

それを一番に感じたのが、ずーっと続けていた舞台のレポートと、そこから生まれた誰に見せる訳でもない作品達からでした。

 

 

作家という生に身を置く私としては、この「舞台を観に行く」ということが社会との接点を持つ唯一の機会である時もありました。ぎりぎりのところを本当に孤立せずに済んだのは舞台があったからです。

心折れて始まった2013年の1月、そんな時観に行った舞台では私はかけがえのない友人に恵まれ、そして舞台からは今までになかった視点を与えてもらいました。それを個展に繋ぐと決心し、もう半年、もう半年、とそれを支えに絵を描き、働き、何かを作り。

 

その間も、思うように作品が作れていないことに自分で自分を憤ったり、焦燥感でいっぱいになったり慌てふためいたり。

 

何かに没入しすぎて自分を見失ってしまう私にとって「舞台を観る」ということは、そしてそこから「なにか気になる」というもの見つけるということは、自分の今の状況を冷静に客観視する効果があります。

 

私は舞台を観るということから本当にたくさんのことを教えられているのだと、しみじみ感じます。

 

自分のことって、自分では見えないのですから。

 

 

さてこの間、5年の間見続けている舞台の公演が終わりました。

次もおそらく来年の1月です。

7月の初旬、その舞台が千秋楽を迎えると「ああ、一年終わったなあ…。」としみじみ思います。何故か冬に忙しくなる私のサイクルから言うと、この7月が1年の締めくくりであり、スタートなのです。

今の私は、たくさんの方に支えられ、恵まれて、何とか作家としてやっています。ありがたいことに、素敵な友人に恵まれ、博多や水戸など遠方にもいかせていただき、そこでもたくさんの方に恵まれました。

 

5年前、不安がってた自分。2年前、月のない夜の砂漠を方位磁石もなく彷徨う自分に、大丈夫だと伝えてあげたい。

 

 

私には、その演劇を見始めていた当初から持っている、ひとつの夢があります。

 

それは、いちばん最初、私が作家として生きて行く決意を与えてもらった役者さん達に、いつか自分が描いた物語で恩返しがしたい。ということです。

 

いつか届くその時まで。

その時を超えて。

 

今日も描き続けます。

 

壁抜け男08

 

レポートより↑

 

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