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「救済」

2016真夜個展08

 

個展、20日に無事終了致しました。

 

お出で下さった方々にまず厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 

 

今回の個展の結末は誠この「救済」の一言に尽きます。

 

それも生半可な「救済」ではありません。

麻酔無しの外科手術のような激しい痛みを伴う「救済」です。

 

 

それは、私の展覧会を観にきて下さったひとりの先輩からの言葉にあります。

彼は長い間私たちの制作を、遠くから見守ってくれていた人でした。

彼は後輩のもとに尋ねてはそのひとそれぞれに非常に為になる、深い、そして厳しい意見を下さる方でした。

それは深い洞察から来ているので、厳しくても受け応えのある確かな「意見」でした。

 

そんな方がわざわざ時間を割いて私の展覧会へも観に来てくれたのです。

 

 

そうしていただいたお言葉が、もう本当に半端ではない痛烈なお言葉の連続でした。

 

具体的な言葉は控えますが、かなり衝撃を受け、思わず口が利けなくなり、しばらく呆然としてました。

 

ですが、それは薄々自分も感じていたことだったのです。

自分もそう感じていて、でもどうしたらいいかわからない。まるでなんとなくからだの調子が悪いのに原因分からない病気に冒されているといったように。

もやもやしていて、でも自分にはどうしようも出来なくてもがいている。そんな感じの状況でした。

 

だからこそ、彼のその包み隠さない正真正銘の、深い洞察からもたらされた「意見」がものすごく私には深く突き刺さったのです。

 

彼の「手術」は容赦なく私の肉体を切り裂き、作品に関する「病い」の部分を明かし、最も深いところに封印されていた、これまでの自分が封印していた「根本的な問題」に触れさせてくれました。

 

ずっと、それを隠していたのです。見ないように、ずっとごまかし続け、封じ続けてきたのです。

 

 

でも、それを解決してはじめて、表現のランクが、もう一段上がるのだと。

やっとそれに気が付きました。

 

 

それに気が付いたからには、これからはそれをすればいいのだと。

やっと気が付きました。

 

やっと。

 

 

今日も、そんな形の。

 

痛いけど。

生半可な痛みじゃないけど、でもこれは「救済」だ、ということがありました。

 

 

それは人生を変えて行くことでしょう。

 

どういう方向でも。確実に。

これまで以上にそれは私を成長させてくれるはずです。

 

 

それを得られたことが、この個展を開催した一番の実りです。

 

 

また、個展を開きます。

その時に、きっとここで得たその成果が、大きく実を結んでいることでしょう。

 

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