2016年4月8日 カテゴリー:日記 コメント:コメント:0
折に触れて観るお話があります。
それがこの「泣くな、はらちゃん」です。
小さな狭い安居酒屋でクダを巻く男、「はらちゃん」。
彼とその仲間達の住む世界は、何故かいつもどよんとしている。はらちゃんも恨み言ばかり言わされている。
それもそのはず、はらちゃんの世界の「神様」は、はらちゃんたちを使って普段言えない恨み言を吐き出していたのだ。
そう、「はらちゃん」の世界は紙の中。はらちゃんは「漫画」の世界の人なのだ。
はらちゃんは自分たちのいる世界を良くするためには「神様」が幸せになれば良いことを知る。
そんな時奇跡が起きる。
ひょんなことからはらちゃんが、漫画世界から現実世界へ飛び出したのだ。
はらちゃんはそこでひとりの女性に恋をする。
その人こそ、自分たちを描く「神様」——越前さんだった。
果たしてはらちゃんは「神様」越前さんを幸せして、自分たちのいる世界を明るく楽しく出来るのか。
そして、その恋の行方は—…
という物語です。
2013年1月から3月まで放送されていたテレビドラマなのですが、この物語はとてもうつくしいのです。
主人公のはらちゃんは漫画の中の世界の人なので、現実世界のことがまるでわかりません。
飛び出してきてから目にした1つ1つに驚き、なんでも質問します。
「あれはなんですか!?」
『犬です』
「あれはなんですか!?」
「猫です』
…
と言う具合に。
私は、そんな姿を観ているうちに、自分がこの世に生まれてきた時のことを思い出します。
私もはらちゃんのように、
「あれはなに?」
「これはなに?」
と質問をして、いろいろなことを教えてもらい、そしてそれを体で覚えたりしたんだと。
知らないことは本で読んだり、自分の体で体験して学んだり。
はらちゃんは真っ白で、とてもピュアに様々なことを学んで行きます。そして、越前さんと出会い、恋をすることでひとを想うことも学んで行きます。
それはまるで私達の姿のようです。
私達も、何も知らない状態で生まれ、はらちゃんのように周りの人に質問をし、名前を覚え、周りのことを覚え、1つ1つに驚いたり、感動をしたりして、そして、最後に死んでいく…。
いろんなことを知るにはこの世界は広すぎて、まだまだ質問出来ないことがたくさんあって、そうしてまた生まれ変わり、前に出来なかったことをして…。
はらちゃんの姿をを観ているうちにそんなことが湧いて来るのです。
ピュアにこの現実世界と対峙している彼の姿に、私はとても洗われたような気持ちになります。
今の私は、このままではいけない。もっと成長しなければ。と焦りばかり募らせて心のせわしい日々が続いておりました。波立った心がなかなか鎮まってくれなくて不安でいっぱいの日々を過ごしておりました。
生きるっていうことの根本が、わからなくなりそうになるくらい。
そんな時ふと「はらちゃん」に会いたくなり、彼の姿を観ているうちに、いろいろ思い出すのです。
そうだ。
生きるって、こういうことなんだ。
生まれてはじめて、知らなかったことを1つ1つ知るその時、それは感動でした。
それだけなのです。
そしてどんなに物知りであろうと、それはああやって誰かから教えてもらったものなんだなと。たくさん質問をした。それだけなんだねと。
私達の知っているものは、はらちゃんが教えてもらっていたもののように、先の人から教えてもらったものに過ぎないんだと。
そう思ったら、私達は、なんて少ししかこの世界のことを知れないんだろう。と想いました。
そして、出来るだけピュアに、知らないものを知りたい。感じたい。と想うようになりました。
過去の心の傷が、どうしても今を悲しみに染めようとしても。
たくさんのことを知れば、言いようのない悲しみや、苦しみを体験することもあります。
でも、そういうものを得るほど、その人は人生をしっかり行動して、しっかりつかみ取ったものなんじゃないかなあとも思います。
「強い」ものを得るほど、強い働きをそのひとは知らないうちに人生でしているのです。
それに、それほど哀しい思いを知っている人は、それと同じだけ優しいものや、綺麗なものを持っているとも思うんです。
反対のものを強く知っている者は、その反対のものも同じだけ見えるようになると思うからです。
私は、知らないことをもっと知りたい。
はらちゃんのように。
だって知ることは「驚き」で「感動」だから。
明日がわからなくて不安に怯えるとき、とても大切なことを教えてくれるのがこの「泣くな、はらちゃん」でした。
よかったら皆さんも一度、見てみて下さい。ゆっくりと…。
コメントする