日記

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「泣くな、はらちゃん」と今の私

2016泣くなはらちゃん

 

折に触れて観るお話があります。

 

それがこの「泣くな、はらちゃん」です。

 

 

小さな狭い安居酒屋でクダを巻く男、「はらちゃん」。

彼とその仲間達の住む世界は、何故かいつもどよんとしている。はらちゃんも恨み言ばかり言わされている。

それもそのはず、はらちゃんの世界の「神様」は、はらちゃんたちを使って普段言えない恨み言を吐き出していたのだ。

そう、「はらちゃん」の世界は紙の中。はらちゃんは「漫画」の世界の人なのだ。

はらちゃんは自分たちのいる世界を良くするためには「神様」が幸せになれば良いことを知る。

 

そんな時奇跡が起きる。

ひょんなことからはらちゃんが、漫画世界から現実世界へ飛び出したのだ。

はらちゃんはそこでひとりの女性に恋をする。

その人こそ、自分たちを描く「神様」——越前さんだった。

果たしてはらちゃんは「神様」越前さんを幸せして、自分たちのいる世界を明るく楽しく出来るのか。

そして、その恋の行方は—…

 

という物語です。

 

 

2013年1月から3月まで放送されていたテレビドラマなのですが、この物語はとてもうつくしいのです。

 

 

主人公のはらちゃんは漫画の中の世界の人なので、現実世界のことがまるでわかりません。

飛び出してきてから目にした1つ1つに驚き、なんでも質問します。

「あれはなんですか!?」

『犬です』

「あれはなんですか!?」

「猫です』

と言う具合に。

 

私は、そんな姿を観ているうちに、自分がこの世に生まれてきた時のことを思い出します。

 

私もはらちゃんのように、

「あれはなに?」

「これはなに?」

と質問をして、いろいろなことを教えてもらい、そしてそれを体で覚えたりしたんだと。

 

知らないことは本で読んだり、自分の体で体験して学んだり。

 

はらちゃんは真っ白で、とてもピュアに様々なことを学んで行きます。そして、越前さんと出会い、恋をすることでひとを想うことも学んで行きます。

それはまるで私達の姿のようです。

 

私達も、何も知らない状態で生まれ、はらちゃんのように周りの人に質問をし、名前を覚え、周りのことを覚え、1つ1つに驚いたり、感動をしたりして、そして、最後に死んでいく…。

いろんなことを知るにはこの世界は広すぎて、まだまだ質問出来ないことがたくさんあって、そうしてまた生まれ変わり、前に出来なかったことをして…。

 

はらちゃんの姿をを観ているうちにそんなことが湧いて来るのです。

 

 

ピュアにこの現実世界と対峙している彼の姿に、私はとても洗われたような気持ちになります。

今の私は、このままではいけない。もっと成長しなければ。と焦りばかり募らせて心のせわしい日々が続いておりました。波立った心がなかなか鎮まってくれなくて不安でいっぱいの日々を過ごしておりました。

 

生きるっていうことの根本が、わからなくなりそうになるくらい。

 

 

そんな時ふと「はらちゃん」に会いたくなり、彼の姿を観ているうちに、いろいろ思い出すのです。

 

 

そうだ。

 

生きるって、こういうことなんだ。

生まれてはじめて、知らなかったことを1つ1つ知るその時、それは感動でした。

それだけなのです。

 

そしてどんなに物知りであろうと、それはああやって誰かから教えてもらったものなんだなと。たくさん質問をした。それだけなんだねと。

私達の知っているものは、はらちゃんが教えてもらっていたもののように、先の人から教えてもらったものに過ぎないんだと。

 

そう思ったら、私達は、なんて少ししかこの世界のことを知れないんだろう。と想いました。

そして、出来るだけピュアに、知らないものを知りたい。感じたい。と想うようになりました。

 

過去の心の傷が、どうしても今を悲しみに染めようとしても。

 

たくさんのことを知れば、言いようのない悲しみや、苦しみを体験することもあります。

でも、そういうものを得るほど、その人は人生をしっかり行動して、しっかりつかみ取ったものなんじゃないかなあとも思います。

 

「強い」ものを得るほど、強い働きをそのひとは知らないうちに人生でしているのです。

 

それに、それほど哀しい思いを知っている人は、それと同じだけ優しいものや、綺麗なものを持っているとも思うんです。

 

反対のものを強く知っている者は、その反対のものも同じだけ見えるようになると思うからです。

 

 

私は、知らないことをもっと知りたい。

はらちゃんのように。

だって知ることは「驚き」で「感動」だから。

 

 

明日がわからなくて不安に怯えるとき、とても大切なことを教えてくれるのがこの「泣くな、はらちゃん」でした。

 

よかったら皆さんも一度、見てみて下さい。ゆっくりと…。

 

 

 

 

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ニューヨークに出していた作品が帰ってきました。

ニューヨークのブックフェアに出していた作品が帰ってきました。

 

結果は、半数以上が売れ、中にはサンプルまで完売しまった本もありました。
真夜の旅人の限定本も、紀伊国屋書店用のサンプルを残して完売してしまいました。

 

さらには「さよなら カヤン。」をはじめ大きめの作品も売れ、「エスムルブ紀行文2」もサンプルまで売れてしまったらしく手元に帰ってきませんでした。

 

どれも1冊あたりが決して安くない作品ばかりなのですが、それでもこうして完売まで出てしまうとはアーティストブックというものが潜在的に望まれていることを感じます。

 

私の作るアーティストブックは手製本のため、数量が常に限られ、しかも分厚い本も多く、作るのにとても時間がかかります。
読むテンポを構成するので、読むのにも時間もかかります。


たくさんの人に読んで欲しいのですが、そんなものなのでいつも一部の方ににしかご提供出来ません。

 

 

いまやインターネットの普及で、良いお話はそれこそ履いて捨てるほど(それも無料で読める!)あります。

ツイッターではそれこそ何万リツイートもされながら多くの人気を集めたいろんな作品が滝のように流れてきます。

そのどれも分かり易いし、パッとすぐ内容をつかめる作品ばかりです。見れば面白い。

 

 

だというのに、お金を出していただいてまで買っていただいているという事実をとても重く感じております。

 

「本当にいいもの」と思っていただいたものは、何万もの「無料でいつでも読めるけど、自分にとってどうでもいいもの」に勝るのかな思いました。

 

そうでなかったら、1冊50$もする手作りの本を買う人がいるとは思えません。

どうでしょうか。

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3と1のつく日に思うこと。

そういえば去年のこの日はアメリカにいました。

 

アメリカでシズカにお祈りしてました。

 

 

私にとっては5年前の今日の日はトラウマです。

「思い出そう」「記憶を風化させない」と頻繁にテレビでもラジオでも言っていて放送もされて、思い出さずにはいられないようになっています。

それは「思い出」になっている人には意味のあることです。

思い出して振り返り、明日自分がそうなった時のために生かす。

それでいいのです。

 

でも私には、あれは思い出には出来ません。

記憶の風化以前に未だに血が滲む乾きかけた傷痕です。

 

昨日、「風の電話」という番組を観ました。

 

みんな、同じように傷痕と暮らしてる。

 

それを観て、私も風の電話に電話してみたいと思いました。

わたしならなんて言うかな。わたしも話したい。

 

普段眠らせている言葉を。

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「救済」

2016真夜個展08

 

個展、20日に無事終了致しました。

 

お出で下さった方々にまず厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 

 

今回の個展の結末は誠この「救済」の一言に尽きます。

 

それも生半可な「救済」ではありません。

麻酔無しの外科手術のような激しい痛みを伴う「救済」です。

 

 

それは、私の展覧会を観にきて下さったひとりの先輩からの言葉にあります。

彼は長い間私たちの制作を、遠くから見守ってくれていた人でした。

彼は後輩のもとに尋ねてはそのひとそれぞれに非常に為になる、深い、そして厳しい意見を下さる方でした。

それは深い洞察から来ているので、厳しくても受け応えのある確かな「意見」でした。

 

そんな方がわざわざ時間を割いて私の展覧会へも観に来てくれたのです。

 

 

そうしていただいたお言葉が、もう本当に半端ではない痛烈なお言葉の連続でした。

 

具体的な言葉は控えますが、かなり衝撃を受け、思わず口が利けなくなり、しばらく呆然としてました。

 

ですが、それは薄々自分も感じていたことだったのです。

自分もそう感じていて、でもどうしたらいいかわからない。まるでなんとなくからだの調子が悪いのに原因分からない病気に冒されているといったように。

もやもやしていて、でも自分にはどうしようも出来なくてもがいている。そんな感じの状況でした。

 

だからこそ、彼のその包み隠さない正真正銘の、深い洞察からもたらされた「意見」がものすごく私には深く突き刺さったのです。

 

彼の「手術」は容赦なく私の肉体を切り裂き、作品に関する「病い」の部分を明かし、最も深いところに封印されていた、これまでの自分が封印していた「根本的な問題」に触れさせてくれました。

 

ずっと、それを隠していたのです。見ないように、ずっとごまかし続け、封じ続けてきたのです。

 

 

でも、それを解決してはじめて、表現のランクが、もう一段上がるのだと。

やっとそれに気が付きました。

 

 

それに気が付いたからには、これからはそれをすればいいのだと。

やっと気が付きました。

 

やっと。

 

 

今日も、そんな形の。

 

痛いけど。

生半可な痛みじゃないけど、でもこれは「救済」だ、ということがありました。

 

 

それは人生を変えて行くことでしょう。

 

どういう方向でも。確実に。

これまで以上にそれは私を成長させてくれるはずです。

 

 

それを得られたことが、この個展を開催した一番の実りです。

 

 

また、個展を開きます。

その時に、きっとここで得たその成果が、大きく実を結んでいることでしょう。

 

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個展 折り返し!

2016真夜個展10

 

個展「真夜の旅人」、折り返しすぎましてあと2日を残すところとなりました。

会期中、貴重なご鞭撻やご感想をいただき大変ありがとうございます。

 

会場に行く度に視野が拓けて成長して行く感じです。おもしろいです!

 

 

今日は先輩方や友人、大学在学中にお世話になった先生が多く見えられ、「来てよかったなあ!」と思う実の多いお話がたくさん出来ました。

特にこれからの制作の話など、指針となるお話も出来てためになります。

 

やっぱり、会って話すっていいですね。

 

そういうきっかけがいただける個展や展覧会は、そういうところが大好きです!

 

残りは明日と明後日の2日のみ。

 

私は明日、金曜日は仕事で会場には行けませんが、最終日の土曜は会場におります。

最終日は午後5時までとなっております。

 

2016真夜個展06

 

どうぞご高覧下さいませ!

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