日記

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志津川の「ケンズ」

南三陸町志津川の防災庁舎が取り壊されると新聞で読みました。

ああ、とうとうだなあ。と感じると共に、昔のこともいろいろと思い出しておりました。

 

私は南三陸町の中でも歌津に縁のある人間だったので、志津川には夏の間(ウジエなどに)買い物に行ったりするくらいの記憶がしかありませんが、それでも温かな時を重ねた佇まいを見る度に「帰ってきたなあ〜」とほっと安心する気持ちを抱いておりました。

 

思い出の中でも特に印象深かったのは志津川の「ケンズ」です。

そのお店は確か本とビデオ、DVDなんかが売られていて、あの近辺で唯一の「本屋さん」だったので必ず行ってました。

特に夏になると花火や浮き輪、ビーチボールなどを商っていたので、ここで珍しい花火を買い込んで帰ってからわくわくして打ち上げる、というのがもうセオリーでした(笑)。ネズミ花火とか煙玉とかもう大変盛り上がりました。

ケンズは黄色い店構えをしていたのでよく目立ち、歌津に向かう際にパッとそのお店を目にすると「おっ。今年はどんな花火あるかな?」と思ったりしてにんまりとしていたことをよく覚えております。

 

色々と楽しい思い出をくれたなあ。ケンズさん。私はあのお店が大好きでした。

 

最近新しく出来たたこ焼き屋の方に行けなかったことが本当に心残りです。

 

 

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MoMA PS1 2013 THE ART BOOK FAIR作品搬入しました!

HP3つの物語本日MoMA PS1 2013 THE ART BOOK FAIRに出品致します作品「Snow&Blue」「リラとルミナ」「薄荷」の3つの物語のアートブック漫画を無事搬入して参りました。

この3つの物語は様々な巡り合わせの上で誕生した物語でした。しかし思えば全部私の生まれ故郷の伊里前から由来しているなあとあらためて感じます。おおう。

この度新しく描き下ろした作品がこちらになります。上から「Snow&Blue」「リラとルミナ」「薄荷」の物語の後日談をイメージでございます。中でも一番下の少年カヤンは久しぶりに描かせていただきました。また彼らの物語の続きを描きたいですね。

こちらの作品はギャラリーの方で拡大してご覧いただけます。「薄荷」のカヤンの作品だけは「エスムルブ紀行文」に掲載されておりますが、よろしければ遊びにいらして下さいませ。

 

では、MoMA PS1 2013 THE ART BOOK FAIRが成功しますように!

 

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虹の年

虹震災から2年半が経ちました。2年半。長いでしょうか。短いでしょうか。

私にとっては、この2年は1週間のようでした。自分でも頭をかしげてしまう程、「あれ?このことって2011年だっけ?2012年だっけ?」とよく記憶が混合してしまいます。2年間の境がなくてずっと繋がっているみたいです。

でも、ひとつだけよく思い出せることがあります。

それは「虹」です。

2011年は虹の多い年でした。

避難先の鳴子に初めて言った時も虹が掛かりました。歌津へ帰省したその帰り道、東北道でも虹が掛かりました。帰るたびに何度も何度も虹を見ました。

極めつけは、2011年の5月に掛かった虹でした。鳴子の避難先にお手伝いに行って山の中を車で走っていた時、突然空の中、雲が七色に色付きはじめ、やがて時を追うごとに濃くなり、消えない虹となって2時間近く上空に輝き続けました。それはそれは、本当に信じられない光景でした。

後で知ったのですが、その日南三陸町志津川で津波などで亡くなられた方の合同慰霊祭が行われていたそうです。

それを聞いて「そうか。だからか〜…。」ととてもしっくりきました。

 

記憶の中にあるだけで、たしか2011年は5回以上虹を見ました。

虹を見る度に、私は亡くなられた方が見守っていてくれるような気がします。

みなさんが「ちゃんと見ているよ。」と言っているような気がしてなりません。

どうか。これからも私たちを見守っていて下さい。

 

写真は、2011年4月に鳴子で初めて見た虹です。

 

 

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三陸新報さん

実は、始まり当初からずっと朝の連続ドラマ小説「あまちゃん」を観ているのですが、きのう(2013年9月9日放送回)ちょっと「あ。」とおもうことがありました。

ドラマの中で出てきた新聞「三陸新報」。確か私が昨年開催した個展「いさとまえ物語」の情報を載せていただいたところだったと思います。

掲載して下さった新聞の方は、私は受け取ることが出来なかったのですが載せていただいた記事をご覧下さった方が、実際に会場に来て下さり教えて下さいました。

本当に嬉しかったことを覚えております。

 

河北新報さんや、三陸新報さんなど、帰省した際はよくそちらの新聞に目を通します。地元に密着した新聞が実は大好きです。

 

 

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クロノスとカイロス。

「クロノス」と「カイロス」。

この言葉に出会って「ああ、そうだったのか!」とわかったことがあります。

この2つの言葉は、古代ギリシアにおける時間の「感覚」を表す言葉で

クロノスは「計測できる時間」を。

カイロスは「自分の中の時間」を表すそうです。

 

私たちは普段、多くの変化の中に生きています。

しかしその中で、何故か不思議と「変わることの出来ない時期」というものを体験することがあります。

何かが気にかかっていたり、離れることの出来ない何かがあったり、未解決のことがあったり。停まり滞ってしまうとき、人は誰しも流れる変化に置いて行かれまいと焦りを募らせます。

状況を打破しようとじたばたして、「こんなものがあれば自分は変われるんじゃないか、救われるんじゃないか。」と本や物にお金を費やしてみたり、「どこか環境を変えれば変われるんじゃないか。」と旅行に出てみたり。

多くの場合それで事態が動くのですが、私の体験の中でそれでもまれに何故かどうしても「しっくりこない。」「本の内容が全く入って来ない。」という状況に巡り会うことがありました。何をしても全然吸収することが出来ず何も変えられない状況で、それはとても苦しかったです。

 

しかし不思議に心の中で何かが「カチッ」と動いた時、それまでまったく染み入ってはこなかった情報や言葉が流れ込んできて、最終的に「今までのは何だったんだろう。」というくらいそれまでと大きく変容出来てしまうということがありました。

 

それは一体なんだったのだろうか。

そう考えていた時、出会ったのがこの「クロノス」と「カイロス」という言葉でした。

 

クロノス、つまり「年齢」や「月日」といった数えられる時は等しく流れて行きます。

しかし、それとは別にまた「心の時間」と呼べるカイロスがあるのです。

 

クロノスがいくら責め立てようと、カイロスが「本当に必要なもの」として求めてこない時、何をしても吸収出来ないのだ。

そう、感じることが出来ました。

 

何をしてもまったく受け入れられない時、それはカイロスがまだ「GO!」サインを出していないときなのかもしれません。

心の中でなにかが「カチッ」と動くまで待っていていいということ。心から「これがほしい」と求めるまで無理をして吸収しなくてもいいということ。この2つの言葉から、私はそれを学ばせていただいたように思います。

 

世界はクロノスだけで動いているのではない。実は目に見えないカイロスもまた、重要な役割を果たしている。

クロノスとカイロス。

どちらがどちらという訳ではなく、どちらとも丁寧に見つめて生きたいと思います。

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